げほ、と苦しそうな咳が部屋に響く。ベッドに寝ているのは病弱な彩斗ではなく、普段は元気に外でサッカーをする熱斗だった。
彩斗はそんな弟の姿を見ながら、ひっそりと考え始める。
学校帰りに二人は夕立に追われてしまって、家に辿りついた頃にはどちらもびしょぬれになってしまっていた。
兄さんが風邪をひいたらいけないから、と熱斗は風呂を彩斗に譲った。彩斗が風呂から出てくる頃、熱斗は元気そうにしていたけれど今思えばあれは空元気だろう。
お風呂を上がってからご飯を食べ終えて、熱斗はすぐに布団に潜り込んで寝てしまった。
いつもならもっと起きているのに珍しい、とその時は思っただけだったが、次の日に熱斗を起こしに行けば高い熱を出していて、熱斗は学校を休んだのだった。
「……兄さん?」
「熱斗、起きてたの?」
「ううん、ちょっと目が覚めた……」
起き上がった熱斗に薬を飲ませる。いつでも食べられるようにリンゴをサイドテーブルに置いているのを伝えれば、ぼんやりと熱斗はありがとうと言った。
ベッドで大人しくしてる熱斗なんて見たのはいつぶりだろう。今の自分は、熱斗に何をしてあげられるだろう?
小さい頃は今と反対に彩斗がベッドに横にならざるを得なくて、その間熱斗がしてくれていたことなんて彩斗はもうほとんど覚えていなかった。
傍らに座り込み、そのまま眠ってしまった熱斗を起こさないように布団を抜け出し、母にお願いして運んでもらったことくらいだろうか。
当時は自分も熱斗も今よりもっと小さかったから、お互いにできることなんて片手で数えられるくらいのことだったろう。
「……兄さん、もしかして気にしてない?」
「えっ?」
「俺だけ風邪ひいちゃったの。別に俺は気にしてないからさ」
そのまま熱斗はぽつりぽつりと、彩斗に今まで言えなかったことをこぼした。
ベッドで眠る彩斗を見るのが怖いということ。昔みたいに、そのまま発作が起きて苦しむのではないかと。
小さい頃にパパとママが家にいない時に彩斗の発作が起きて、パニックになってしまった時のこと。
彩斗の体を先にお風呂で温めれば、また彩斗がベッドで長い間眠ることもないだろうと思っていたらしかった。
「なんて……。はは、俺らしくないかな。風邪だから不安なのかも」
からからと笑うが、それが無理をして笑っていることも彩斗にはわかった。
こんな時に気を遣える弟をうれしいと思う反面、もっと自分のことも大事にしてほしいという思いで胸がいっぱいになり、目頭が熱くなってくる。
「……そんなの、全然熱斗らしくない」
彩斗は立ち上がって熱斗のベッドに乗りあがる。少しだけ熱斗は後ろに逃げたが、枕があることもあってかほとんど身動きがとれない状態だった。
そのまま彩斗は熱斗の頬を手で包み、軽く唇を重ねた。熱斗の唇はいつもよりも熱を持っていて、かさついていた。
「さ、彩斗、兄さん……?」
「……いつもはうるさいうるさいと思っちゃうけど、熱斗の声に元気がないとこんなにさびしいものなんだね」
「は……」
呆けている熱斗を尻目に彩斗はベッドから降りて空になったコップを持つ。
彩斗、と呼びかけるが熱斗はそのまま咳き込んでしまう。
「無理しないで寝てていいよ、熱斗。僕は向こうの部屋にいるから、何か用があったらロックマンに伝えて。それじゃあ」
熱斗の方を見ないまま彩斗は素早くドアを抜けて、ぱたんと静かにドアが閉まる音がした。続いて足音が階下へと響く。
「……あー…………」
熱斗はベッドに横になり、そのまま顔を手で覆う。キスをした後の兄は、自分の目を見ようとしなかったけれど耳まで顔が真っ赤になっていた。
「……反則だろ、今の」
早く風邪を治して、これの仕返しをしないと気が済まない。熱斗は布団に潜り込んで目を閉じた。
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