放課後のモストロ・ラウンジは授業で疲れた生徒達の憩いの場として利用されている。
紳士の社交場として開かれているからか、小さなトラブルが絶えないナイトレイブンカレッジの中でもモストロ・ラウンジでは表立った騒動が起きることは少ない。それ故に、日々騒がしいナイトレイブンカレッジにおいて落ち着いて食事の出来る場所としても人気を賭していた。
リドルはモストロ・ラウンジに足を運ぶ事はあまり無かった。オクタヴィネル寮の寮長であるアズールや副寮長のジェイドとは学年が同じだったり、同じクラスである事から学内にいる間にコンタクトを取りやすい。そして、恋人関係にあるフロイドは向こうから揶揄いがてらやってくることが多かったためか、こうして足を運ぶたびにハーツラビュル寮とは内装も雰囲気も、寮にいる生徒の性質も違うことをひしひしと感じる。
空いた食器をワゴンに乗せて片付ける寮生を尻目に、リドルは真っ直ぐにジェイドの元へと向かう。
ジェイドはカウンターでドリンクを作っているようで、ボトルを手に背を向けていた。リドルが声をかけるとくるりと振り返りながらもドリンクを作る一連の流れはそのままに、リドルへにこりと笑いかけた。
「やあジェイド」
「おや、リドルさん。貴方がこちらの寮に来るのは珍しいですね。どうしました?」
「先生がキミとボクのノートを間違えて返却していたみたいでね。ノートを交換しに来たのだけど」
そう言いながら、リドルは手に持っていた鞄から一冊のノートを取り出す。
ノートの表にはジェイド・リーチと記入されており、ジェイドはぱちりとひとつ瞬きをした。ドリンクを作り終えたようで、ピアスをしゃらんと鳴らしながら給仕にやってきた寮生へとドリンクを渡せば、寮生は水流に乗るようにしなやかな足取りでどこかのテーブルへと向かって行った。
「おや、そうでしたか。今から取って来ますので、待っている間にこちらのドリンクをお楽しみいただけますか?新作メニューの試作なんです。お代はいただきませんから」
そう言いながら、ジェイドは目にも止まらぬ速さでドリンクを作り上げた。その手捌きを見て、リドルは目の前の男を訝しむ。
ジェイドはいかにも仕事が出来そうな男ではあるが、それらの振る舞いは人並外れたものではないとリドルは感じていた。常にない手捌きでドリンクを作り上げた目の前のこの男は、本当にジェイドなのだろうか。
ふと、以前フロイドがジェイドの声真似をしていたのを見たことがあることを思い出す。
流石双子というべきかその時の声色は本当にそっくりで、髪型を変えられたら見分けることは難しいだろうと思ったのだったか。
よくよく注意して目の前の男を見てみれば、右耳に双子で揃いのピアスを付けていた。フロイドが右耳にピアスを付けているのだから、ジェイドは左耳である筈なのに。
「いやお前、フロイドだな……?」
「え!気付いたの!?金魚ちゃんすげえ、何で分かったの!?」
目の前の男ーージェイドではなくその片割れであるフロイドが、カウンターに手を付いて身体を前のめりにさせる。
顔が近い。リドルが片手をを突き出して距離を取れば、すいとフロイドはカウンターの中に収まった。
「ピアスを付け替え忘れているよ。次からはもう少し意識することだね」
まさか、こんな簡単なことで見抜けてしまうとは。詰めが甘いところがフロイドらしいなどと考えてしまうが、あの気まぐれなフロイドのことだ。
どこまでが本気で、どこまでが遊びかなんてリドルには区別出来そうになかったし、するつもりもなかった。
「あ~、なんか当たり前すぎて付け替えんの忘れてたわ」
「はぁ……、フロイド、こちらへおいで」
「ん?うん」
手招きをされて、フロイドはカウンターを越えてリドルの近くへと立つ。
屈んでと言われ、リドルが何をしようとしているのか分からないまま腰を屈めた。
「キミがきちんと着込んでるのは落ち着かない」
手袋に覆われたリドルの手が、リボンタイをするりと緩めてジャケットのボタンを外してくる。
こんな場所で何を、とフロイドは目を見張ったが、リドルの手つきや目線に邪な感情は見受けられない。本当にただ落ち着かないだけなのだろう。それが余計に、フロイドの心をくすぐる。
しかし、首元にまでその手が伸びてきたのには流石に動揺して、屈めていた体制を直してリドルと向き合った。
「いや何してんの」
「キミのことだから、首元が詰まっていたら不快だろう?緩めてあげているんだ」
屈んでいた体制から立ち上がったことで、先程と高さが変わったのにわざわざ腕を伸ばしてフロイドが着ているシャツの第二ボタンを緩めたあと、リドルは満足そうに口元を緩めた。
なんで一仕事終えたみたいな顔してんの。そう思っても、フロイドはリドルの手によって着崩された事実を未だに飲みこめていなかった。
「おやおやリドルさん。このような場所でフロイドにご無体を働くのはおやめになった方が良いかと……」
気がつけば、常のフロイドと同じように寮服を着崩し、髪の分け目を変えてピアスを右耳に付けたジェイドが二人の傍に立っていた。
ご無体。はて。何のことだろうとリドルが悩んでいたら、フロイドがわざとらしそうに胸の前で腕を交差させて怯えたような声色を出した。
「金魚ちゃんだいた~ん」
大胆。ご無体、大胆。このような場所で。リドルはそこまで言われてようやく、公衆の面前でフロイドの服を着崩させるという行為をした事に気付く。
あくまでも自分とフロイドの関係は公言していない。特に隠しているわけでもないけれど、だからと言って人目のあるところで見せつけるようなことをしたいわけじゃない。
羞恥と焦燥から顔がどんどん熱くなってくのを感じ、これではフロイドの言う通り金魚のように真っ赤になってしまっているだろうと思い、片手で顔を覆う。手袋のぬるい冷たさが心地よかったが、全く安心など出来ないし落ち着かない。
「ところで、リドルさんは何のご用でオクタヴィネル寮へ?」
「なんかね~、ジェイドのノートと金魚ちゃんのノートが入れ替わってたらしいよ」
フロイドとお互いの振りをしていることがバレたからなのか、ジェイドはいつもと逆に流していた分け目を戻し、着崩した寮服を着込んでいく。
丁寧に留められていくシャツのボタンに、かっちりと締められたタイ。
本来なら、着崩している方が良くないのだからわざわざ着崩させる必要はない。
フロイドが着込んでいる姿が普段と違って落ち着かないのならリドルの手でしてやらなくても、伝えれば首元くらいフロイドが自分で緩めたかもしれないのに。
「おや、それはそれは。取ってきますので少しお待ちいただいても?」
「あ、ああ」
普段通りに寮服を直したジェイドがスタッフルームへと向かっていくのを眺める。
まだ頬の熱が冷めていない気がして、フロイドの肩へと額を預ける。もうここまで周囲に見られたら多少くっついていたところで状況は変わらないだろう。
「……金魚ちゃんの趣味ってわかりにくいね」
「……うるさい」
ちょっとめんどくさい金魚ちゃん、そんなところも好き。
声を潜めて耳元で告げられた言葉にかっと顔が熱くなって、今すぐに首をはねてやりたくなった。
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