「フロイド、最近休憩時間の度にリドルさんに会いに来てますね」
「は?」
ホールの隅に置いてあるランプを拭いているフロイドに、魔法を使って床の清掃を終えたジェイドが話しかける。フロイドはいかにも怪訝そうな表情をして、己の片割れを見つめた。
週末の金曜日、開店前のモストロ・ラウンジ。次の日が休みである生徒が多いためか放課後から閉店前まで絶えず人が訪れるため、厨房はその為の仕込みを行う寮生たちでいっぱいであった。
ジェイドとフロイドが今日担当しているのはホールだったので、二人と数名の寮生でホール内の清掃を行っていた。
客の入っていないホール内に人の姿はまばらで、時折ひとこと、ふたこと話す声が聞こえつつ清掃を行う音が聞こえるが、ホールの隅まで行けばそれらは聞こえなくなる。
モストロ・ラウンジを利用するのはナイトレイブンカレッジの生徒が殆どである。そのため、アズールは生徒の話し声で店内の雰囲気が壊れないように空間に静音魔法をかけている。
魔法のおかげで出来上がる、この奇妙な静けさをフロイドは密かに気に入っていた。
「何言ってんのジェイド」
「熱烈ですねえ」
目を閉じてくるりと一回転しながらうっとりするジェイドの様子を見て、フロイドはうげっと声を漏らす。フロイドの経験上、こういう時の片割れは非常に面倒くさいのだ。
「いやいや、ジェイドがいるから行ってるだけじゃん」
「おやおや、自覚がないんですか?」
「なにがぁ?」
ひどく楽しそうに笑う片割れの興味の対象が自分に向いていることが、フロイドは癪に障った。そもそも、ジェイドが今言っていることをフロイドはうまく飲みこめていなかった。
フロイドが頻繁に二年E組に行くのは、ジェイドがいるからだ。リドルはジェイドと同じクラスになっただけの生徒の一人であって、揶揄う対象としての興味はあれどリドルに対して興味を持っているつもりなど、フロイドには無かった。
「貴方、リドルさんに恋をしているでしょう?」
アズールの魔法のおかげで音が響きにくいモストロ・ラウンジに、フロイドの拳がジェイドの頬を殴る鈍い音が響いた。
△
ジェイドとフロイドが喧嘩をしたらしい。
そんな噂がここ数日の間、二年生の一部で流れている。リーチ兄弟と言えば、迂闊に関わってしまえば痛い目を見る事から周囲の生徒から遠巻きにされることも多々あった。
しかし、二人が喧嘩をしていると断言できないのは誰も当人たちにそんな事を質問など出来ないからだった。ただ、今まで何が無くとも共にいた二人が突然単独で行動をしていて、なおかつジェイド頬に痛々しい痣を作っていたものだから、皆一様になって彼らを遠巻きにしていた。
増してや、日を追うごとにジェイドの笑顔がどんどん深くなり、逆にフロイドはずっとハイテンションなまま気だるげな様子など微塵も見せず、小テストで満点を叩き出し続けている。そんな様子を見せていれば、生徒だけではなく教師達もこの双子の様子がおかしいことくらい分かってしまうだろう。
ジェイドと同じクラスのリドルも、ジェイドとフロイドの様子がおかしいことは気付いていた。ただ、あちらから揶揄われない限りは親しく話す間柄でもない。
出来るだけ関わらないようにと思っていたのに、こういう時に限って貧乏くじを引いてしまうものだ。
魔法薬学の実験器具を片付ける当番に、リドルとジェイドが選ばれた。選ばれた理由に仰々しい理由など無く、ジェイドの出席番号と日付が一致していた事と、教師が適当に当てた生徒が言った番号分、日付と足し算を行った数字のがリドルの出席番号であっただけの話だ。
薬品がついたビーカーやフラスコを水で流し、黙々と片付けていくジェイドにリドルは声をかけた。
「ジェイド、最近どうしたんだい?随分覇気が無いようだけど」
「おや。ご心配なく、特にこれと言った事はありませんよ」
口元に笑みを貼り付けたまま話すジェイドの姿を見て、リドルは小さく息を吐く。誰がどう見ても何かがあったはずなのにそれを教えようとしない姿勢に、少しだけ苛立ちを覚える。
別に自分とジェイドはクラスメイトなだけで、特別親しいわけでもないのに。フロイドには散々揶揄われて、この双子に対しては良い感情を持っていない。むしろフロイドに揶揄われる事が減ったのだから喜ぶべきである事なのに。
リドルの眉間に皺が寄ったのを見たのか、ジェイドは勿体ぶるようにため息を吐いた後、静かに話し始めた。
「フロイドと、喧嘩をしたんです」
「……キミとフロイドも喧嘩とかするんだね。なんだか意外だ」
「そこまで頻度は高くありませんけれど、時々はしますよ。けれど、今回は特にひどい。なかなかフロイドが折れてくれなくて」
「キミも大変そうだけど、あまり不機嫌を振り撒くのはやめてくれないか」
「ふふ、お気遣いありがとうございます」
ジェイドがビーカーやフラスコを洗うために開けていた水道を絞める。話している間にすべての実験器具を洗い終えたらしい。
蛇口を握るその指先に少なからず、常よりも力が入っているのをリドルは見逃さなかった。
授業が終わった放課後。校舎の階段から階段を、ひょいひょいと飛び移りながら移動するフロイドの姿があった。一心不乱に同じ校舎の外を、違うコース取りを行いながら飛び移る。フロイドの動きに迷いはなかったが、いつもは緩やかに弧を描く口元はへの字に曲がってしまっている。
フロイドは、ここ数日の間ずっと機嫌が悪かった。それもこれも、双子の片割れであるジェイドに「恋をしている」と言われたことが原因だという事はフロイドもわかっていた。
フロイドとジェイドの調子が良くないことを当然アズールも察しているらしく、昨日から二人揃ってモストロ・ラウンジのシフトを外されていた。気を遣われているというのもまた、フロイドの癪に障った。
ずっと同じ校舎の周りを飛び回るのに飽きたらしく、フロイドは腕を、脚を使って次から次へと飛び移りながら場所を移動する。
このまま地面に足を付けないまま、どこまで行けるだろう。
無我夢中で飛び回っていれば、赤い頭が視界にちらついた。ひらりと視界から消える金魚。
どこだろう。金魚の赤い尾びれが見えた方へ飛んだ。
「うわあ!?」
中庭にあるガゼボの入り口に立っていたリドルに、フロイドが勢いを殺さないまま突っ込んだ。
リドルが頭を打ち付けないように腕で頭を抱え込み、芝生の上をごろごろと転がって勢いを殺す。
そのまま二人で三回ほど回転すれば、フロイドの背中が木にぶつかった。
「フ、フロイド……!キミ、どういうつもりなんだい……!?」
「……あ、やっぱり金魚ちゃんだ、何してんのぉ?」
「トレイを待っていようと思っていたんだが……キミ、一体どこから飛んできたんだい」
「東校舎の渡り廊下から適当に飛んでた。金魚ちゃん小さいから、上からだと見つけられなかった~」
「なっ……!?キミからすれば、大抵の人は小さいだろうに……!」
「あはは、真っ赤になっちゃった。ほんとに金魚みたいだね」
リドルを抱え込んだまま、ある程度勢いを殺したとはいえ木に打ち付けた背中が痛むのに、リドルと話をしていたらそんなこと気にならないのが不思議だった。
木漏れ日が視界を灼いて、リドルの赤い髪の毛に、触れる体温に火傷してしまいそうだ。
「ん?なにこれ」
リドルの近くに、小さな包みが落ちている。手を伸ばしてフロイドが拾ったそれは、イチゴ味の飴玉のようだった。
「ああ、ボクのだよ。朝、何故かエースに押し付けられてしまったからポケットに入れていたんだが、誰かさんのせいで落ちてしまったらしいね」
「ふ~ん。金魚ちゃんもアメとか食べるの」
「あまり食べないかな。嫌いではないけれど」
「じゃあさ、これオレがもらってもいい?」
「まあ、構わないよ」
思わず声が掠れたフロイドの様子にリドルは気が付いていなかった。
「やった~、じゃあこの小さい飴玉、金魚ちゃんみたいだなって思いながら食べるねぇ」
後ろからリドルのことを抱きしめながら、そんなことを言ってみた。
すると、みるみるうちにリドルの顔が真っ赤になっていく。どうやら小さい、という言葉が頭に来たらしい。
「フロイド……!キミというやつは本当に!今日という今日は、首をはねてやる!」
がばりとリドルがフロイドの腕から逃れ、胸元のマジカルペンを掴もうとしたその時。
「リドル!ストップ!止まれリドル!」
いつの間に近くまで来ていたのか、トレイがリドルを後ろから羽交い絞めにする。ハーツラビュルの寮生への魔法の使用は指導という名目で行えるが、同学年であるフロイドにこれと言った理由なくユニーク魔法を使うのはあまり体裁が良くないと判断したのだろう。
リドルのマジカルペンを抜き取り、気が立っているリドルのことをトレイは宥めはじめた。
「……つまんねえの」
さっきまで、リドルはフロイドの事しか眼中に無かったのに。リドルとトレイは次のお茶会に出すお菓子の話をしているようで、リドルの機嫌はある程度治まってしまったらしい。
手の中でカサ、とビニールの擦れる音がする。リドルから貰った飴玉だ。ズボンのポケットに飴を突っ込みながら、フロイドはくるりと踵を返す。
「かーえろ」
パルクールで体を動かしたからなのか、ここ数日フロイドを悩ませていた不機嫌はどこかへ行ってしまったようで、フロイドは鼻歌を歌いながらオクタヴィネル寮へ戻るべく、鏡の間へと向かって歩き出した。
未だ治まらない胸の高鳴りと、打ち付けた背中の痛みに気付かないふりをしながら。
△
「ジェイド~、ただいまあ」
オクタヴィネル寮へと戻ってきたフロイドは、真っ直ぐジェイドの元へと向かった。
フロイドと同じく、モストロ・ラウンジのシフトを外されていたジェイドであったがバックヤードで在庫のリストを確認していたらしい。
「フロイド、お帰りなさい。……今日はどちらに行かれていたんですか?」
「適当にぴょんぴょん飛んで~、金魚ちゃん見つけたから少し話してきた」
「……なるほど。リドルさんと」
ジェイドは手に持っていた在庫のリストを机の上に置いて口元に手を当てるが、上へ吊り上がった口角は隠しきれていなかった。
「なに?」
「いいえ、ここ最近、フロイドは機嫌があまり良くなかったでしょう。僕も悪かったと思って、反省しているんですよ」
「あっそ」
「リドルさんとお話して、どうでした?」
フロイドはポケットに入れっぱなしだったキャンディの包みを開いて口の中に放り込む。
甘酸っぱい、いちごの味がした。甘いケーキが好きなリドルが好みそうな味だと思った。
「金魚ちゃんってば顔真っ赤にしてユニーク魔法使おうとしてんの。俺のユニーク魔法使ったら効かないのにね~」
「それはそれは。血が上ったリドルさんは詰めが甘くなるところがありますから」
見るからに機嫌が良くなり普段通り会話ができるフロイドの様子を見て、ジェイドはそっと息を吐く。
パルクールで多少気が紛れたのもあるのだろうが、確実なきっかけはリドルと会話をしたことだろう。
あまりにも分かりやすい変わりように、自分のように双子で無くても気が付いてしまうだろうと思う。
「そういえばジェイドさ、この前オレが金魚ちゃんに恋してるんじゃないかって言ってたでしょ」
「ええ、はい」
「多分ね、オレ金魚ちゃんのこと好きなんだと思う」
ガリ、と飴を噛み砕く。甘い、いちご味。こんなもの、人工甘味料でいちごの様な味がするだけだ。この飴玉に何パーセント、いちごの成分が入っているのだろう。
この飴の事を、リドルは少しでも思い出していやしないだろうか。
木に打ち付けた背中が今更痛む。もしかしたら少し、赤くなっているかもしれない。ジェイドと話をするまで、フロイドは痛みに意識が向かなかった。
ずっと、ずっとリドルの事で頭がいっぱいで他の事なんて考えられなかった。
ジェイドに言われるまでも無かった。気分屋であるはずの自分の感情が、リドルに会えた事、それだけで浮上していたのだから。これが恋じゃなければ、なんと呼ぶのだろう。
「……分かりますよ、双子ですもの」
「え。……まさかジェイドも金魚ちゃんの事好きとか言わないよね」
フロイドとジェイドは共にいる事が多い。まさか、双子の片割れもあの少年に恋慕を抱いているのか。
「それこそまさか。ずっと傍でフロイドの事を見てきているんだから分かる、という意味ですよ」
「だよね~……、良かった~」
口の中で砕けた飴を飲みこむ。こんな風に、恋心も簡単に砕けて飲みこんでしまえたらいいのに。
フロイドの手の中で、飴の包みがグシャリと音を立てて潰れた。
コメント