炭治郎と喧嘩した。
泣きすぎて痛くなった頭では、何が理由で喧嘩したのかなんて忘れてしまったようで、てんで思い出せなかった。
大したことで無かったような気もするし、何かとても重要なことだったような気もする。
ずび、と鼻をすする。畳に寝転がってひたすら泣いていたから、きっと俺の頬には畳の目の跡が付いているだろうし、なんだったら髪の毛からはちょっと井草の匂いがするかもしれない。炭治郎だったら俺の髪についた匂いも嗅ぎ分けられそうだな、なんて考えて、また炭治郎のことを考えてしまったと自分にほとほと呆れてしまった。
視界の隅には、話の共にしようと思って持ってきたお茶が入った湯飲みと、しのぶさんが藤の花の家紋の家の人からいただいたらしいビスケットが並んでいた。西洋の文化が広まってきたとはいえ、まだまだ庶民の手には届かない物が多い。炭治郎もどこかで食べたことがあるかもしれないけれど、食べたことがないかもしれない。もし初めてビスケットを食べるのなら、一緒に食べてみたいなぁ、と思ったのだ。
ビスケットは時間が経ってしまうとサクサクとした食感が損なわれてしまうらしいので、しのぶさんから貰ってすぐにお茶を用意したというのに、何故俺は一人で泣いているのだろう。
洗濯物を取り込む音の中に、炭治郎の音を見つけた。まだ蝶屋敷にはいるらしい。でも炭治郎からは未だに不愉快そうなザラザラとした音がしていて、もうたくさん泣いて枯れたとも思ったのに、また涙が溢れた。
「……炭治郎の分も、食べてやろうかな」
ビスケットの包み紙をつまみ、そのまま食べようとしたのに、すっと香るバタアと卵の香ばしい匂いがして手が止まる。
やっぱり、炭治郎と一緒に食べたいな。そう思ってしまったら、居ても立ってもいられなくなってしまって。
すっと立ち上がって、炭治郎がいた、物干し竿がたくさん並ぶ庭へと進む。
そういえば、喧嘩した内容はほんの些細なことだった。炭治郎が、誰かに文を書いていた。俺が声を掛けても生返事ばかりで、それが面白くなくて。お茶を溢さないように、ビスケットも一緒に入ったお盆を部屋の隅に置いて、後ろから勢いよく抱きついた。すると炭治郎の手元が狂い、紙の上をするすると滑り文字を紡いでいた筆はべちゃりと音を立てて手紙を台無しにしてしまった。
流石に悪ふざけが過ぎた、と思って慌てて謝ったけれど、炭治郎は「……鱗滝さんに、手紙を書いているってさっき言ったよな」と怒った音を立てながら、呆れた表情で俺を見つめていた。
炭治郎が鱗滝さんのことを尊敬しているのなんて、たくさん話を聞いて知っていたのに。真面目な炭治郎が、気を緩めつつも真剣に恩師へ文を認めていたのに、邪魔してしまった。顔を真っ青にしながら、ごめんよう、ごめんようと縋り付いても炭治郎の怒った音は止まない。少し席を外すよ、と言って、炭治郎はどこかへ行ってしまったんだった。
炭治郎からはもう怒ってる音はしてなかった。きっと、他の誰かと話すかなにかして、落ち着いたのだろう。今聞こえてくるのは、後悔と、どうしようかと迷っているような音、それでもやっぱり不服そうな音。早く、早く炭治郎に会って謝ろう。そして一緒に冷めたお茶を飲みながら、ビスケットを食べるんだ。一枚ずつしかないけど、きっと甘くて美味しいから幸せな気持ちになれる。誰かと一緒に食べた方が、幸せなんだから。
「炭治郎ー!」
名前を呼ばれて振り向いた炭治郎の音の、なんて嬉しそうなことか!
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