軽やかなハミングが聞こえる。
エウリュディケ荘園に広がる林の中、自分が割り当てられたゲームの時間まで暇つぶしとして散歩に出た。
屋敷の中でじっとしているのは性に合わず、かと言って運動をしてしまうとゲームに支障を来たしかねない。
荘園の中は粗方探索を終えてしまったし、無邪気にそれを楽しめるような年齢でも無い。
なので、居心地が良さそうな木陰でも探し、ゲームが始まる時間までゆっくり体を休めようかと考え、木陰の広さも十分で、周囲に人の気配も無さそうな木の下に座り込んだ。その矢先だった。
軽快なリズムに乗せて、ハミングを口ずさむ人影が見えたのは。
ゲームの時にハミングを口ずさんだり、歌い出すハンターも中には居る。一人は霧の殺人鬼、一人は東洋の出身の風情をした芸者。最近荘園に来たらしい女王様も、ハミングを口ずさんでいるのが聞こえた事もある。
けれど耳に届いたそれは、今まで聞いたことのない歌声だった。
キャンバスに向かう人影は、普段の試合では絵の具の類は手に持たず、写真機を用いて試合を繰り広げるー写真家、とサバイバーの間では呼ばれている男だった。
ゲーム外の時間にハンターが何をしているのかなんて、全く興味がない。ましてや、それらが自分達を狙い、襲ってくる相手ならば余計に。
サバイバーの中にはハンターと個人的な交流をしている者もいるらしく、自分はその話を聞くたびに眉をひそめる人間だった。
敵と馴れ合うべきじゃない、と思う。彼らの出自や正体はどうあれ、自分達は彼らから追われる側で、彼らは自分達を狩る側なのだ。
それなのに、どうして自分は写真家のハミングに耳を傾け、木陰から動けないのだろう。
キャンバスには、彼から見える風景が描かれている。色を決めあぐねているのか、時折ハミングが止まり、思案するようにパレットの上に乗った絵の具をかき混ぜる。
さくり、さくりと芝生を踏み、彼に近づいた。近づいて、しまった。
集中しているのか、近づいてみてもこちらの気配には気づかない。
ひび割れた輪郭の奥にある瞳にこちらを向いて欲しくて、口を開いた。
「……そこの木の色、もう少し青いと思う、けど」
余程集中していたのか、びくりと肩を震わせてこちらを見た。
真っ黒な瞳に自分の姿が映っているのかと思うと、不思議と気分が高揚した。
「君は……傭兵か。色に詳しいのかい」
「いや、別に。少し目が良いくらい」
「今の色よりも青色……君の目からは、そう見えるんだね?」
「あ、ああ」
「そうか、ありがとう」
写真家は、礼の言葉と共に、穏やかな笑みを浮かべた。まるで自分達の、追う側と追われる側なんて立場など無くなったかのように。
特に、彼のサーベルでの攻撃は他のハンターよりも負担が大きく、試合展開によっては軽々と瀕死に追い込まれてしまう。だから、自分と彼の相性は最悪だと思っていた。事実、ゲームにおいて自分と彼の相性は最悪だ。
けれどそれは、ゲームの中だけの話だったらしい。
「礼なんていらない。だけど」
「だけど?」
「……ナワーブ。ナワーブ・サベダー。俺の名前。好きに呼んでくれたらいい」
「へぇ、そう。そうだね……、私の名前はジョゼフ・デソルニエーズ。君も好きに呼ぶといい、ナワーブ」
「……ああ」
「また今度、ここに来てくれるかい。君に色を見てほしい」
「……うん。また、今度」
それじゃあ、私は続きを描くから。そう言って、ジョゼフはキャンバスに向き直る。俺はくるりと背を向けて、サバイバー達の住まう居館への道に足を伸ばした。
ハンターと馴れ合うなんて、あり得ないことだと思っていた。なのに、俺の考えに反して口角が上がるのを、止める術は俺には無かった。
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