「俺、今日はこたつから出ない」
そう宣言した藤丸は、台所からみかんの入った籠を持ってきたアヴィケブロンの姿をじいっと見つめた。
彼は、藪から棒に何を言っているのだろうか。アヴィケブロンの訝しげな目線も気にせず、藤丸はさらにこたつの中へ潜るように背を丸めてアヴィケブロンのことを見つめている。
いつになく怠惰な様子の藤丸を仮面越しに見つめ返しながら、アヴィケブロンもこたつに足を入れて座り、みかんが落ちないように気を付けながら籠を机の上に置いた。
今日のアヴィケブロンは、最早トレードマークとも言えるストライプ柄の浴衣の上に、菫色の半纏を羽織っていた。
この寒い冬の中に外出する時にはしない、家に居る時だけの格好に、アヴィケブロンを見つめていた藤丸は自然と笑みが浮かんだ。
「……それはまた、どうしてだい?藤丸」
みかんを一つ手に取り、手のひらでころころと転がす。この動作は、アヴィケブロンの目の前で、こたつに入り怠惰を極める藤丸がみかんを食べる前、頻繁にしている癖のようなものだった。
――以前、藤丸が付けっ放しにしていたテレビ番組に出演していたアナウンサーが、手のひらでみかんを刺激すると甘くなると意気揚々に語っていた。それを実践する藤丸の癖が、アヴィケブロンに移ってしまったのだろう。
藤丸は机にもたれかかっていた上体を反らして、そのまま床に敷いてあるカーペットの上に仰向けで寝転がった。きっとこのまま放っておけば、藤丸の意識は十分と経たないうちに夢の中へと飛んで行くだろう。そう思えてしまうほど、藤丸の表情は穏やかで、幸福そうであった。無論、藤丸の向かいに座るアヴィケブロンには藤丸の表情など見えないが、何度となく藤丸がこたつで寝落ちる姿を目撃しているために、放っておいた後の事など想像に容易いものだ。
「せっかくの休日を、こんなに無為にしてしまって良いのかい」
「いいの。アヴィケブロンこそ、もう外出る気ないでしょ?」
藤丸がアヴィケブロンの服装の事を暗に言っている事に気づき、アヴィケブロンはころころとみかんを転がす手を止める。
不服そうにしながらもみかんの皮を剥き始めたアヴィケブロンの心中を知らずか、藤丸はのっそりと起き上がり、片手で籠の中からみかんを掴んだ。
そのまま揉むように両手の手のひらでころころと転がし始める。少し前のアヴィケブロンと同じように藤丸もみかんを転がし始めたのを見て、アヴィケブロンは口元だけで笑みを浮かべた。
「こんなに寒いのに、用事も無いなら家でゆっくりした方がいいよ。そうだ、今日は鍋にしない?冷蔵庫にしらたき、まだあったかな」
「一昨日の鍋で全部使ってしまっただろう。鍋にするなら買いに行かねばならない」
「あー……。うーん、そっかぁ。じゃあどうしようかなあ……」
綺麗に剥けずにばらばらと崩れるみかんの皮に藤丸が苦戦している間、アヴィケブロンはみかんの筋を指先で細かく取り除いていく。藤丸は、この筋がひどく苦手らしいのだ。
「ほら剥けたよ、あーん」
「あー」
かぱ、と音が鳴りそうな程綺麗に開けられた口の中にみかんを一房放り込む。咀嚼し、飲み込んだ果実の甘さに藤丸はふにゃりと笑みを浮かべた。
「……うん、やっぱりこたつから出たくないなあ」
「それは僕がこたつから出ないことが前提になっているのではないかね」
また一房、みかんを差し出され、藤丸はアヴィケブロンの手ずから剥かれたみかんを咀嚼する。
「だって俺、今とっても幸せだよ」
机にくっつけた藤丸の頬がほんのりと赤く染まり、目元は潤んでいた。ああ、このままでは彼は本当に眠ってしまうだろう。
このまま一日、怠惰に過ごすのも悪くはなかったが、今は年末。休日に済まさなくてはいけない事はたくさんある。そのためにも、藤丸に今こたつの中で寝てもらうのはとても困るのだ。
「僕もだよ、立香」
「ぅえっ」
がた、と不自然に大きな音を立てて藤丸はこたつにもたれかかっていた体を起こす。きっと意識の半分は夢の中にいたのだろう。
そもそも褥の中でだけ呼ばれる名前で平時に呼ばれ、動揺しないというのも、藤丸には無理な話なのだが。
「うん?どうかしたかね」
「……分かったよ、こたつから出ないのはやめる。……でも、あと一時間ぐらい居てもいい?」
「……全く、君という人は……」
眉を下げて強請られると、拒むに拒めなかった。藤丸に対して甘くなってしまう自分にアヴィケブロンは気付いていたが、休日の朝はまだ始まったばかり。少しくらいなら、自分も怠惰に過ごしてもいいだろう。
アヴィケブロンは自分にそう言い聞かせ、こちらに口を開けている藤丸の口の中に、また一房、みかんを放り込んだ。
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