メランコリー・ドリーム/ロママー

かしゃかしゃと泡立て器がボウルに当たり音を鳴らす。時折材料を入れ、かき混ぜ、それらの繰り返しによりテンポ良く生地が作られていく。フライパンを火にかけ、温まるまで少しだけ作業の手を止めて待った。

終局特異点が見つかり、数多の英霊がカルデアのマスターに力を貸している中。マーリンは自分の夢の中でパンケーキを作っていた。ロマニの夢の中には行かずに、明確な目的を持って夢の中で何かをするのなんて、最近のものであれば第七特異点での出来事とロマニの夢の中で料理を作ったくらいであった。
フライパンが温まったのを確認して、底を濡れた布巾で冷やす。こうすることで、ふわふわとしたパンケーキを焼けやすくなるのだ。材料を混ぜ終わり、後は焼くだけの生地をフライパンに流し入れれば、香ばしい匂いと音が辺り一面に広がった。このキッチンはロマニの夢の中で見たものと同じように再現してある。調味料の場所も、日の入る窓も、さらさらと風に吹かれて流れるカーテンも、無骨なテーブルも、二脚揃った椅子も。
カルデアが魔術王ソロモンに勝てるかと言われれば、きっと難しいだろう。千里眼で見ずともわかる。きっと彼らは敵わない。
けれど、もしかしたら。彼等なら、あのマスターならば。人理を救えるかもしれなかった。
ピピピ、とタイマーが音を鳴らす。パンケーキの片面が焼き終わった。手早くひっくり返し、またタイマーをかける。
ケーキが焼けるまでの間に、トッピングを終わらせてしまおう。冷蔵庫から、数日前に自分の夢の中で作ったクランベリーのジャムを取り出す。ロマニが食べたいと言っていたのはパンケーキだったが、せっかくならジャムも、白く艶やかなホイップも添えてあげようと思ったのだ。甘酸っぱいジャムに、さっぱりとした甘さの生クリーム。蜂蜜のほのかな甘みと、ヨーグルトを加えたふわふわのパンケーキ。きっとロマニは気に入るだろう。和菓子に出会うまで、彼はパンケーキが好きだったらしいから。

合間に、千里眼で彼らの有志を見守る。ちょうどカルデアのマスターが玉座への道を、数多の英雄たちと共に切り開いたところだった。
マーリンには、ソロモンやギルガメッシュのように未来を視る目は無い。マーリンに在るものは現在すべてを見通す目であり、未来を直接視ることはできなかった。けれど、この世全ての現在を視ることで、その後に何が起きるが予想することぐらいはできる程度には、マーリンは賢人だった。

ロマニ・アーキマン。彼が取るであろう行動はもう想像がついている。カルデアのマスターがそれを見届け、きっと人理は修復される。
人類は救われる。未来は、明日は約束されるだろう。ハッピーエンドだ。本当に。彼が、いなくなるであろう未来だけは変わらないままに。

パンケーキが焼きあがる。焼きたてで熱く、ほかほかのそれをケーキクーラーに乗せて、生クリームを冷蔵庫から取り出す。生クリームをヘラで掬い、ジャムと共に皿に盛りつける。このパンケーキを食べる予定であるその人への敬意を込めながら。
その間に程よく冷めたパンケーキを、形を崩さないように気を付けながら皿の上に乗せる。パンケーキにもジャムを垂らし、クリームを少しだけ絞る。
トッピングを含めて、パンケーキが出来上がる。この出来であれば、ロマニだって満足気に笑うだろう。
もうマーリンは、ロマニの夢の中へ行けないのに。

世界を視る。魔術王の玉座と魔人王ゲーティア、カルデアのマスター。彼らが見据えるのは、手袋を外したロマニ・アーキマンの姿。

ナイフとフォークを取り出す。華美過ぎない装飾が施されたとっておきの銀食器。ナイフでクリームを、ジャムを、パンケーキを切る。

世界を視る。ロマニ・アーキマンの姿は徐々に薄れ──魔術王、ソロモンが現れる。

切り分けたパンケーキをフォークで突き刺して、口を開けてかぶりつく。ケーキの味などわからない。ジャムの味だってわからない。クリームの味もわからない。おおよそ味覚と呼べるものはマーリンには無かった。咀嚼してごくりと飲み込む。塩辛い何かが、口の端の方から口内へと流れ込んできた。

世界を視る。魔人王ゲーティアと、魔術王ソロモンが対峙している。

まともに飲み込めてもいないのにフォークにケーキを突き刺して口の中に運ぶ。咀嚼する。甘酸っぱいベリーの味と、生クリームが舌の上で溶ける。おおよそ上品とは言い難い食べ方で、マーリンはパンケーキを頬張り、口の中へと詰め込んだ。
目頭が熱い。分かっていた。この結末を、自分は分かっていた。嗚呼、そうだ。ロマニは最後の夢の中で、こう考えていた。初恋は実らないと。その通りだ。彼の恋は実らない。そして、自分の恋も実らない。ならば自分のこの感情もきっと初恋と呼ぶのだろう。
嗚咽と共に無理矢理詰め込んだパンケーキを吐き出してしまった。ああ、もったいない。これは彼が食べるべきものだったのに。甘ったるい。胃もたれしそうなほどに甘ったるい。ロマニの感情を食べた時と同じ味がする。今のマーリンの感情は、恋慕そのものだった。甘く、甘く、ひたすらに甘い。だと言うのに段々と酸っぱくなり、発熱したかのように熱くなり、とうとう吐き出してしまう。ああ、自分はこんな感情を発せるようになったのか。人を想うなんて感情を。

「……すごい味だ。何で君がこれを食べてくれないんだろうね」

世界を視る。ソロモンの第一宝具が発動した様子を見る。嗚呼、とても美しい。きっとその後に続くマスターの描くものだって、この光景に勝るくらい美しいものだろう。人理が救われる瞬間にロマニ・アーキマンはいないのに。

どこまでも美しい物語だ。けれど、彼だけがそこに居ないのだ。美しいハッピーエンドだ。あの様子であれば、ロマニ・アーキマンは選択を後悔していないのだろう。美しい。とても。
「……君に、食べてほしかったなあ」
涙と吐瀉物でぐしゃぐしゃに汚れた顔を掌で覆う。とうとう、想いを自覚してしまった恋心は向けられる先を見失ってしまった。けれどこれも一つのハッピーエンドなのだろう。僕等は結ばれなくとも共に在れた時間が残っているのだから。
「…ロマニ・アーキマン。いいやソロモン王よ。君の責務は果たされた。君の行く末が花多きものであれ」

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