「チェリーボンボン?」
あまり聞きなれない言葉を耳にする。マーリンは得意そうな顔をしてチョコレートを混ぜていた。
「そう。ブランデー漬けにしたさくらんぼにフォンダンを付けて、チョコレートでコーティングしたものだよ。甘いお菓子だからきっとロマニ君も好きだと思うけど」
今日も夢の中。次に会ったときはどんな顔をしようかなどと考えていたのに、案外この夢の中にいれば特に何も気負う事無く居られた。不思議なものだと思った。
しかし、この間パンケーキを作ってほしいと言ったから、てっきり今回作ってくれるものはパンケーキだと思っていた。そもそも、マーリンが希望通りのものを作ってくれるという期待をするのもお門違いと言うものか。
「ひどいなあ、今日はチェリーボンボンを作りたい気分だったのさ。パンケーキはいずれね」
「あのなぁ、読むなって言ってるだろ」
「流れてくるんだよ」
チョコレートが溶けたらしく、さくらんぼにチョコレートを垂らしていく。さくらんぼに垂らさずそのまま食べても美味しそうだった。
「後は冷えて固まるのを待つだけ。大体二時間くらいかな。さあロマニ君。この空いた二時間。僕と何がしたい?」
テーブルを挟んで向かいの席にマーリンが座る。両手で頬杖をついて、僕の目をじっと見つめてくる。気を抜いたら紫に光る瞳に魅入られてしまいそうだった。
「……別に、何も」
本心だった。人間になってから恋なんてしたことがなかった僕が、相手に求めるものが何かなどわからない。マーリンは今もアヴァロンに囚われている。それをどうにかする術を僕は持っていなくて、そもそも彼がアヴァロンから出たいと考えているかどうかすら怪しい。
「ロマニ君。もう僕は君の夢には来ないことにするよ」
「は?」
突然のマーリンの申し立てにびっくりして正面からマーリンを見据える。紫の瞳は潤んで揺れていた。ひどい顔をしている。僕の答えがマーリンの思うようなものではなかったのだろうか。
「もうこの夢は君の一部になっている。随分と、その……、酷い夢を、見ていないんじゃないのかい?」
夢。最近見た夢は。そうだ、マーリンが出てきて、キッチンで食事をする夢がほとんどだった。
世界が燃えて、人々が苦しむ夢を最後に見たのはいつだった?
「申し訳ない、ロマニ・アーキマン。僕はきっと、君の触れてはいけないところに触れてしまった。心から詫びよう。」
マーリンの口がすらすらと言葉を紡ぐ。とても綺麗な言葉だった。とても綺麗な声だった。
「大丈夫、今までのことはすべて夢だ。僕の作った料理の味なんて忘れておくれ。パンケーキの約束は守れそうにない。あれはマシュ嬢か、マスター君にでも作ってもらってもらうといい。パンケーキ程度であれば、僕じゃなくても作れるから」
「マーリン」
名前を呼ぶ。少し怯えたように、マーリンは目を反らした。目の奥がかっと熱くなる。こんな怒りを覚えたのはいつぶりだったろう。僕の心は彼に筒抜けだったはずだ。僕がマーリンに恋慕していることだって、彼に筒抜けだったはずだ。
それなのに全部、忘れろだなんて。二人きりで夢の中、こんなに幸福だった時間を無かったことにしろなんて。許せるわけがなかった。
「このろくでなし」
目頭が熱い。初恋は実らないと言うが、別に僕は彼の恋人になりたいわけでは無かった。いいや、あわよくば、という気持ちはある。けれどこの恋は実らせてはいけない。少なくとも、人理を救うまで、僕はそんなことに現を抜かしてはいけなかったのだ。
「……分かった。もうこの夢には来るな」
「……うん」
紫色の瞳を覆う瞼から雫がほろりと零れ落ちる。マーリンは自分の瞳から雫が落ちていることにも気づいていないようで、はらはらと泣いていた。表情は分からない。笑っていなくて、悲しそうにくしゃくしゃになっているわけでもない。
「ただし、条件がある。パンケーキを作る約束を僕はまだお前にかなえてもらってない。……だから、人理を修復した後。気が向いたときでいい。僕の夢の中で、パンケーキを作ってくれないか。それで僕は諦めるから」
初恋は実らない。けれど、ささやかな願いくらい実らせてもらってもいいだろう。僕が提案すれば、マーリンは信じられないものを見るような目で僕を見つめてきた。
こんな顔を見るのは二回目か。そんな顔をさせたいわけじゃなかった。笑っていてほしかった。以前のようににこにこと笑うマーリンの顔が見たいだけだった。
「……いいだろう。ロマニ・アーキマン。君の願いはいずれ僕が叶えてあげよう」
頬に涙の線を作っているのに、マーリンの顔はどこまでも綺麗だった。
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