メランコリー・ドリーム/ロママー

朝のブリーフィングが滞りなく終わり、特異点の情報が出るまでマスターや各サーヴァントは待機、と特別レイシフトが必要なこともなく、穏やかに始まった一日の朝。普段よりもざわざわと声が入り混じり、廊下に人だかりができていた。
たった一人のマスターと、彼のサーヴァントであるマシュ。数がぐんと減ったスタッフとそれらを統括する立場になってしまったロマニ・アーキマンと、カルデアによって召喚されたサーヴァントであるレオナルド・ダヴィンチしかいなかった頃に比べれば、マスターが召喚したサーヴァントの数は日を追うごとに増えていて、今では大所帯となっている。
それゆえに普段から騒がしいことは多いが、今日は普段よりも随分と騒がしい。一体どうしたものか、はたまたどこかのサーヴァントが勝手にレイシフトでもしたか、それともどこかのサーヴァントが何かをやらかして事件を起こしているのだろうか。食堂へ向かって足を進めると、近づくにつれてどんどん人が多くなっているのがわかった。

「はいはい、押さない押さない。可憐なお嬢さんやマスター君を優先してくれたまえ。ちゃんとキミたちの分も用意してあるから、もう少し待ってくれ」
聞き覚えのあるテノールがロマニの耳に響いた。人だかりで声の主は見えないが、ほぼ確実に自分の夢の中に会いに来ていた白い夢魔の声が。
「マーリン!お前何してるんだ!?」
「やあロマニくん、今日も元気だねえ。キミも私の作ったケーキをご所望かい?」
「は?」
人だかりをかき分けて食堂のカウンターの近くまで行けば、カウンターには小分けにされた一口サイズのケーキが並んでいた。
「……これ、お前が作ったのか?」
「うん。昨晩はマスター君の夢にお邪魔させてもらってね。お菓子の話をしたら、食べてみたいって言われちゃったから作ってあげたんだよ。そうしたらどこから話が広がったのか知らないけれど、こんなにサーヴァントのみんなが集まってしまったワケだ。ロマニくんもいくつか食べるかい?」
ケーキが乗った大皿には小さなトングが置かれていて、どうやらケーキバイキングみたいに量を決めて好きなものを選べるようになっているらしく、ロマニの隣に来ていたマシュがトングを手にケーキを選んでいた。
「お疲れ様です、ドクターロマン。ドクターもケーキをお食べになりますか?」
「うーん……。あのマーリンの作ったお菓子なんて信用できないぞぅ……」
夢の中で散々彼の作った料理を食べておいてこんなことを言うのもいたたまれなくて、ロマニはそっと目と伏せてケーキを物色しているふりをする。
実際のところ、半分は嘘で半分は本気だ。夢の中でならいくら物を食べようが、たとえそれでお腹を壊そうが所詮は夢の中での出来事だ。余程特殊な状況でない限り、現実の体に影響は無い。
しかし、現実での食べ物となると話は別である。何が入っているかわからないものを不用意に口にするほど、ロマニは不用心では無かった。それも、ケーキを作ったのがマーリンであるというなら尚更だ。マーリンの作ったものでなくてもお菓子が好きなのだから食べても良いのだが、素直にみんなと一緒にマーリンの作ったお菓子を食べるというのも癪に触った。
「……ボクはいいよ、少し前に朝ごはん食べたばかりだし」
「そうですか。ドクターも、たまにはゆっくり休憩をとってくださいね」
「うん、ありがとうマシュ。……おいマーリン、変なことするなよ」
マーリンに釘を刺し、返事も待たずに踵を返して、食堂を後にする。結局、朝のブリーフィングの後の楽しみの一つであるコーヒーブレイクが潰れてしまったが、いつもよりも騒がしい食堂でゆっくりと休憩の時間を取れるとは思えなかった。
マーリンがカルデアに来るのは初めてではない。第七特異点で正式にマスターと縁が結ばれたらしく、サーヴァントとして召喚されたわけではないのにこうやって時折顔を見せるようになった。初めてカルデアにマーリンが来たときにはマスターの部屋にいて、結構な騒ぎになったのも記憶に新しい。
週に一度ぐらいの頻度で、カルデアのどこかでマーリンの反応を見かける。正式にサーヴァントになったわけではなく、あくまでも人理を修復するまでの間だけ遊びに来ているようだった。
そう、遊びに来ているのである。別にレイシフトについてくるわけでもなく、カルデアに多数召喚されているサーヴァントの霊基強化のための素材を集めるのを手伝うわけでもなく。基本的にはマスターに会い、マシュと話をして、いつの間にかいなくなっているらしい。
マーリンが作ったケーキは美味しいだろう。レシピ通りに作るのだろうから、味の保証はできている。先ほどは何が入っているかどうかわからないと考えたけれど、材料だっておそらくカルデアの中にある冷蔵庫内のもの使ったのだろう。
マーリンが得体の知れないものを入れるとか、そういうことはしないように思えた。そして僕は甘いものが大好きだ。なのに、何故今、マーリンの作った料理を食べたくないと思ってしまったのか。理由はわかっている。きっと僕は嫉妬したのだろう。マーリンの作った料理を食べているのは自分だけだと思っていた。僕以外に振舞われる料理を見たくなかったのだ。
マーリンへの恋心を自覚してからというもの、自分でも思った以上に感情の機敏が出てきた気がする。ふとした時にマーリンのことを思い返したりするなど、どことなく気の緩みを自覚する。
ひどく楽しかった。こんな感情があるなんて知らなかった。嫉妬を覚えた時は少し胸が痛むような気分になったけれど、今は少しだけ浮かれて心がふわふわしている。しっかりとしなければいけない立場なのに。今が一番重要な時なのに。
「……ロマニ」
そんな僕だから、すぐ後ろまでマーリンが近づいているのに気が付けなかった。
「げ、マーリン。なんだよ」
マーリンは少し驚いたように目を見張っていた。手に持っている皿の上にはケーキが乗っていた。先ほどマーリンが食堂でみんなに作ったケーキの一部だろう、スポンジに生クリームを塗りトッピングにイチゴを乗せたケーキに、棒状のお菓子が添えられたチョコレートケーキ。緑色の、おそらく抹茶の味をしているであろうケーキも乗っている。どれもボクが好きな味だ。
「……君は、そんなだったかい?」
「はあ?急になんだよ」
「いいや……、いいや。何でもないよ。みんなの前でケーキを食べにくいロマニ君に塩をプレゼントを、と思ってね。マシュも気にしていたようだし。これ、たぶん君が好きな味だろうから食べておいてくれ。私はもうアヴァロンに戻るよ」
「え、ちょっとおいマーリン」
「それでは失礼するよ」
ざあ、と花びらが視界を覆って何も見えなくなる。片手で花びらをかき分けるが、そこにはもうマーリンの姿は無かった。強引に押し付けられたケーキと、ほとんど消えてしまったがまだ足元でひらひらと待っている花びらが、今そこにマーリンがいたことを物語っていた。
「……なんなんだよ」
ひらりと花びらが消えると同時に、口からぽつりと理不尽な行動に対する言葉が出てきた。

ケーキを持ったまま、自分の部屋のロックをカードキーで外す。空気が抜けるような音を立てながら扉が開き、一歩足を踏み入れるとセンサーが反応して部屋に電気が灯る。
机の上にケーキを置いて、椅子を近くまで引き寄せて座る。観察するようにケーキを眺める。ケーキドーム越しに見るケーキは天井のライトに照らされてよく見えなかった。
マーリンが作ったケーキを思い出す。夢の中で食べたケーキは甘さもちょうど良く、盛り付けも申し分が無いぐらい見事なものだった。それだけの腕前を持つのだから、あれだけのサーヴァントがマーリンのケーキを食べたがるのも納得がいく。夢の中で作るケーキは僕しか食べないけど、現実でケーキを作ると僕以外のひとも、マーリンの作った料理を食べるのだ。食べられるのだ。そんな当たり前のことを、どうやら僕は失念していたらしい。
気づきたくなかった。マーリンの作ったものを食べるのは僕だけで良い、なんて気持ち。
ケーキカバーを開く。マーリンが持っていた時と同じ位置に置かれている三つのショートケーキ。皿の上にナプキンと共に入れられていたフォークを手に取り、ケーキを口に運ぶ。クリームが口の中でほろりと溶け、スポンジが歯に当たり跳ねる。舌の先からクリームの、スポンジの甘さを堪能して、中ほどでイチゴの酸味に驚く。
美味しい。分かってる事だった。夢の中でマーリンが作った食事をたくさん食べてきたのだから。レシピ通りなのに味付けがどこか不器用で、そこから彼が半分だけでも人ではなく、人の食に対する情熱とも言えるそれを理解していないのだと悟る。それゆえに、レシピ通りだと味気なくなりがちな料理を作るのはおそらく苦手なはずだ。それに比べてケーキなどお菓子の類、正確な分量を重要とするものはとびきり美味しく作れるに違いない。ああ。やっぱり。
「……好きだな」
マーリンの作った料理が。マーリンが。彼の作ったものを夢の中だけでなく実際に食べて、ようやく実感に至る。底の見えない泥沼に沈んでいくように、彼に夢中になっていく。知れば知る程好きになっていくなんて、そんなチープな恋愛ドラマのような感情に苛まれるなんて思いもしなかった。伝えるつもりは少しも無いのに、膨れ上がる恋心に寒気がする。
次に、夢でマーリンに会った時、僕はどんな顔をすればいいのだろう。

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