メランコリー・ドリーム/ロママー

今日もマーリンはロマニの夢の中にいる。ロマニの夢の内容は実にシンプルだ。世界の終わりがひたすら流れる夢か、日の差し込む明るいダイニングキッチンで穏やかな時間を過ごす夢の二種類に分類される。
実際、ロマニが見る夢は基本的に一種類だけだった。何故ならキッチンで穏やかな時間を過ごす夢は、マーリンが見せているのだから。
ただの人間が一つの夢しか見ないなんてことはありえない。とりとめのない夢を見て、内容を朧気に思い起こしながら目を覚ます。そういうものだ。だと言うのに、なぜロマニは一つの夢を見続けているのか。それがマーリンきになって仕方が無かった。今までそんな人間見たことが無かったからだ。
けれど、突然自分が出張っても彼に警戒されるのが関の山だ。かつて未来を見通す千里眼を持っていた彼のことだから、自分の存在だってきっと知っているだろう。もちろん、彼が知識を深めるために片っ端から漁った書籍の中にだって、マーリンという名前はたくさん出ているから、きっとどこかで自分のことを知っているはずだ。マーリンはそう考え、一つの案を思いつく。
──夢を見せることにした。人理が焼却される絶望を花畑に変えようかとも思った。病魔や貧困に喘ぎ苦しむ人々の姿を穏やかに頬を撫でる風に、悲痛な声は甘やかな幸福を歌う小鳥の声に変えても良かった。
そんな、幸せな夢を見せることもできた。けれどマーリンは、ロマニが望む幸福のひとさじ分だけを加えた真っ白な夢を見せた。夢の世界を作るのは彼自身なのだと言うように。
そして出来上がったのが、今マーリンがいる夢だった。何の変哲もない、言ってしまえばどこにでもありそうなダイニングキッチン。食事を食べるためのテーブル。向かい合った椅子が二脚。すぐにでも料理ができるように揃えられた材料や食器、調理器具。それらはごく普通の、ごく当たり前の生活を送っていたら一度でも体験、ないしは目にする機会があるような風景だった。

「できたよ、さあ召し上がれ。今日のも自信作だとも!」
「それ、言うのやめにしないか?」
「やめないよ?」
テーブルの上に皿を乗せる。今日のメニューはオムライスがメインだ。付け合わせのサラダはキャベツのシーザーサラダに、ベーコンを煮込んだコンソメスープを添える。
マーリンはよくわからなかったが、出来上がった料理からはおそらくヒトが美味しそうと思えるような匂いがしているのだろう。ロマニが文句を言いつつも表情を緩ませた。
スプーンを手に取り、オムライスを掬い取って口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼して飲み込んで、目を瞬かせた後にマーリンに向かってひと睨み。そのままスプーンを使ってコンソメスープを飲み、フォークに持ちかえてサラダを食べた。
ロマニはマーリンが出した料理をすべて食べ終えてから味の感想を伝えるようにしている様で、無言のまま完食した。じとりと目を細めながら、ロマニは口を開く。
「ケチャップが薄い」
ロマニの文句と共に発せられる感情。おそらくは苛立ちと評される類の感情だろう。
「なんだか味付きがのっぺりしてる、コクがない。コンソメスープは特に問題はない。サラダは論外。なんだこれ。お前もしかして塩と砂糖を間違えたんじゃないか?」
「えっ本当に?調味料の扱いには気を付けているつもりなんだけどね」
「多分分量を反対で入れたか、間違えたかじゃないか。すごい甘い」
コップに入った水をあおり、ごくりと喉を動かして飲み込んだ。今もロマニの感情はマイナス方面に寄っている。あまり良い気分ではないのだろう。そういう気分の時の彼の感情は格別に美味しい。マーリンは口角をあげて少しだけ笑って見せた。
そうすると、ロマニの感情がふんわりと穏やかなものになっていく。この感情には覚えがあった。彼の夢から追い出されて数日後、やっと夢の中へと入る隙ができたからお邪魔させてもらった時に感じた、あの妙な感覚。
そんなことを思っていれば、ロマニははっとしたように目を見開いて、ふるふると頭を振ってからむすっとした表情を作った。毎度のことながら分かりやすすぎる。カルデアのマスターやマシュの前ではあんな風に保護者面できるのに、何故今、そんなに子供のような仕草をするのだろう。いかにもこちらの様子を伺うような態度に、マーリンは少しだけ笑いを漏らした。こういう反応をしたヒトには、控えめな笑い方をすれば良いコミュニケーションを築きやすいのだ。
「……笑うなよ」
こちらを睨みつけながら念を押してくる声が面白い。きっとまた自分の思考が筒抜けだ、なんて思ったに違いない。でも、わかってしまうのは仕方ないのだ。流れてくるのだし。
流れてくるという言葉は嘘ではない。マーリンがロマニの考えを読もうとしているのではなくて、ただロマニの感情が、思考が、マーリンの元へと流れてくるだけ。マーリンはそれを咀嚼して、ロマニの考えを理解するだけで共感はしなかった。まず、共感というものが出来ないからだ。
今日のロマニの感情はとても穏やかな味がする。春の日差しのように柔らかいのに、時折ぴりりと酸味がかかっていた。
「普通のご飯より、お菓子が食べたいな。この前のタルトタタンってケーキとかもいいけど、僕はパンケーキ派なんだ」
「あれ?和菓子派じゃないのかい」
「和菓子は職人さんが作ってこその味なんだよ」
「そういうものなんだ?」
ロマニからのリクエストはおそらくこれが初めてだった。食べ終えた食器を共にキッチンへと運び、皿を洗う。
これも、あの時の夢以来の変化だ。ロマニと共に並んで食器を洗うと、少しむず痒いような気持ちを食べられる。あまりこの味を好んではいなかったし、胸焼けしそうなほどに甘ったるいのに、なぜか今はとても心地が良かった。
「しょうがないなあ、そこまでロマン君がパンケーキが食べたいって言うんならしょうがないな〜!」
「そこまでは誰も言ってないだろ」
嬉々として彼に反応を返せば、そっけない態度を取られてしまう。もちろんわざと振る舞っているのだが、勘付かれているのだろうか。
「……まあ、今はいいか。オムライス食べたし。今度気が向いたら作ってくれよ」
「君、その言い方だと私が気が向かないと作らないと言っているように聞こえるが?」
「そう言ってるんだよ、気まぐれな夢魔」
随分身勝手な決めつけに、少しだけムッとしたような表情を作る。もちろんそんなことは思っていない。めんどくさい男だなあ、とは思っているけれど。気のよさそうな顔をしていたロマニが、不意に宙を見上げた。
「あ、そろそろかな」
世界が揺らいでいる。夢の終わりが近づいてるのを察したのか、ロマニは洗い終わったコップを水切りラックに置いた。
「今日の夢はどうだったかな、ロマニ君?」
「相変わらず最悪だったよ」
「なんだいそれは。ひどいなあ」
あはは、とロマニとマーリンは互いに声を立てて笑う。ロマニからマーリンへと流れてくる感情は、柔らかくて暖かかった。
彼の気持ちはなんなんだろう。おそらく何度も味わったことのある味だ。甘くて、暖かくて、けれど時々塩辛くて。僕にとって馴染みのあるものであったことだけは確かだ。
確か、時折立ち寄る街で出会う女の子達が、よく似た感情をしていた気がする。彼女達の目に浮かんでいた色は、おそらく恋慕の色。そうだ。恋慕の味に近い。恋の話を聞いている時、彼女達の感情は複雑な味をさせながらも甘さを途絶えさせず、時折塩辛い味をさせて居たのではなかっただろうか。
つまり、ロマニは今、恋をしているということになる。
「マーリン。次はパンケーキ作ってくれよ」
「えっ……?」
今。今まさに彼は恋をしている。
誰に?どこに?今まで夢の中でロマニに会っても、こんな感情なんて流れて来なかった。
何よりも、何故ロマニが恋をしていることを知った僕がとても動揺しているのだろうか?
「なんだよ、別にいいだろ?お前の作ってくれた料理はどれも、まあ……、嫌いじゃないけれど。この前作ってくれたケーキは美味しかったよ。またお前の作った甘いものが食べたいな」
そう言って笑うロマニの顔がとても優しくて。ロマニの言葉と共にマーリンの元へ流れ着いた感情は、先ほどマーリンが確信した恋慕だった。
マーリンが目を見開くと同時に、急速に世界が白に変わっていく。ああ、夢が終わる。ロマニから向けられる、剥き出しの愛情をマーリンは一身に受け止めながら、ロマニの夢から理想郷へと意識が浮上していくのを感じた。ロマニの笑顔が目の奥に焼き付いて離れない。
なんだ、この感情は。ロマニの感情に感化されたわけではない。この感情の名前は戸惑いだ。それも、どこか喜色を帯びたもの。
 完全に意識がアヴァロンに戻り、ゆっくりと目覚める。今ほど、ヒトの様に夢の内容を忘れたいと思ったことはなかっただろう。
「恋。……恋、ねえ。あのアーキマンが」
よりにもよって、自他共に認めるこんなろくでなしなどに。カルデアのマスターか、カルデアの職員にでも恋をしていたならば、まだ望みはあっただろうに。
けれど、ロマニの様子を見るにまだ恋に目覚めたばかりの様だった。何事もなかった様に彼に接し、勘付かれない程度に距離を離していけば良いだろう。マーリンはそう結論づけ、理想郷の空を眺めていた。穏やかな風が雲を視界の外へと運んでいく。
なんてことはない。今までだって、こうやって人間から想いを寄せられることは何度もあった。たまにヘマをしながらも、うまく躱してやり過ごしてきた。ロマニなんて、まだ十年程度しか人間らしく生きていないのだから、言いくるめることなんて簡単なはずだ。何よりも、恋は人間の判断力を著しく鈍らせてしまう。特別なことはしなくて良い。傍にいなくても良い。今まで通りに、けれど少しだけ一線を引いて。
ロマニへの対処はどうにでもなる。少し楽しみは減るが、いざとなれば彼の夢に行くのをやめれば良い。そうならなければ、良いと思った。
ロマニの夢の中へ行くのは楽しかった。気が向いたときにしかやらない料理の真似事をして、それを人間に振舞うなんていつぶりだろう。それも夢の中で、必要に迫られた訳ではないのに。
なぜ自分がこんなことをしているのか理由がわからないことが不愉快だった。ほんの少しだけある感情のようなものが反応してるのかもしれないけれど、そんなに大したものではない。まして、ロマニから寄せられるであろう恋慕に対して感情的な返し方ができるとは思えなかった。

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