リドルのスマートフォンがマジカメの通知を鳴らす。誰からだろう、と思いながらリドルはスマートフォンのロックを外す。
ナイトレイブンカレッジに居た頃に使っていたアカウントは、卒業を目前としていた日にわざと消した。
誤って削除してしまったのだと言ったら、ケイトが何やら騒いでいた気がする。その時にケイトは何と言ったのだったか。もう思い出せそうにもない。
なので、今通知を鳴らしたリドルのマジカメアカウントはカレッジを卒業した後に作成したアカウントだった。このアカウントは塾での子供達と軽いメッセージのやり取りをするのに使っているほかに、フロイドと連絡を取る時に使っている。
しかし通知欄に載っている名前は、いま挙げた人物達ではない。
かつて同じ寮で生活を共にし、入学早々寮長の座をかけて決闘を申し込んできたひとつ年下のエース・トラッポラの名前があった。
『すみません』
『バレました』
二言だけ送られてきたメッセージ欄を見て、リドルはため息を吐きながら少しだけ指をおぼつかせながらフリック入力をしてメッセージを送る。
『誰に?』
『トレイ先輩』
数秒で帰ってきた答えを見て、リドルはとうとう額に手を当てて先ほどよりも大きなため息を吐いた。
いつか見つかるとは思っていたが、よりにもよってトレイに情報が漏れてしまうとは。
――本当に見つかりたくないのなら、エースとも連絡先を交換などしていなければ良かったのだけれど、エースの存在はカレッジに居た頃リドルに対して良い刺激を与えてくれていた。だからこそエースの事をリドルは信用し、彼とは交流を続けてみたかったのだ。
トレイに見つかったとなれば、いつの間にか彼と恋仲になっていたジェイドにもリドルとフロイドが一緒にいることが近いうちに耳に入るだろう。そうなれば、芋ずる式に当時交友関係のあった相手に伝わるのも当然であった。
エースから連絡が入った日からきっかり一週間が経った日、土曜日の昼間。
リドルとフロイドの休みが被り、同じ部屋にいる時間帯を狙ってなのか、トレイ、エース、ジェイド、アズールの四人が、二人の部屋に訪問してきた。
「すまない、うちには大人数が座れるソファは置いていなくてね。そこに座ってくれ」
二人で暮らしている部屋に、数人が座れるソファや椅子の数は無い。必然的に、ローテーブルを囲むように座ることになる。
なにか飲み物でも用意するか、とリドルが立ち上がろうとしたらアズールが腕でそれを制する。
「ああ、お構いなく。二人暮らしならばこんな大人数を相手できる食器の類は無いでしょう?」
「あは、分かってんじゃんアズール。金魚ちゃんってば必要無いだろって言って食器全然揃えてくれないんだよ、けちだよねえ」
「収納も少ないのに物を買おうとするのは良くないだろう」
当然のようにリドルがフロイドの隣に座るのに、トレイは密かに瞠目する。
トレイがカレッジに居た頃に見た彼らの姿と言えば、ご機嫌そうに絡んでくるフロイドに対して顔を真っ赤にして怒っているリドルの姿だったのだから、驚愕するのも無理はなかった。
トレイの横に座っているエースの顔色は終始青い。
「しかし、なるほど。ここは良い立地ですね。駅からは遠いですが、スーパーの類もありますしバス停も近い。生活するうえで困る事は少なそうだ。
……ジェイドから聞いた時は驚きましたよ。まさか卒業と同時に姿を消した貴方達が、今は薔薇の国に一緒に住んでいるだなんて」
「相変わらず元気そうでなによりだよ、アズール。ところで、何でキミ達はこの家を特定できたのかな。エースには連絡先しか教えていないはずなのだけど」
「ああ、オレがエースに吐かせた。どの辺りに住むか悩んでるって相談したらしいじゃないか、俺にも話してくれればよかったのに」
「トレイに話せば全部ジェイドに筒抜けになるだろう……!」
久方ぶりの再会だが、学生の頃と変わらないように話せていることに、リドルは安堵していた。親しかった相手や両親に何も言わずに出て行ったことを気にしていなかったわけじゃなかったのだ。
「寮長……その、怒ってませんか?」
「エース、ボクはもう寮長では無いんだけど。……怒っていないよ、この程度の事。いずれ見つかるとは思っていたから」
けれど、リドルが思っていたよりも見つかるのは遅かった。見つからなければいいと思っていたのは確かだけれど、いずれ見つかってしまうだろうという諦念があった。
フロイドが居なくなったとなれば、流石のジェイドとアズールも捜索はするだろう。そこまで足が付かないように動いているつもりも無かったが、思っていたより人というのは見つかりにくい。
そして何よりリドルだって失踪したとなれば捜索されるだろう。それこそ街で一番優秀な魔法医療士の一人息子が突然いなくなったとなれば、両親は探すはずだ。きっと。
母親は厳しい人だったけれど、彼らの仲は良好とは言い難かったけれど、愛してくれていたはずだから。
けれどリドルは両親に見つかる事はなく、エースを介してトレイに見つかった。
「それで、フロイド。僕とトレイさんのように恋人だったわけでも無い貴方達が何故、今一緒に暮らしているのかお聞きしても?」
ここに来てからずっと笑顔で黙り込んでいたジェイドが、フロイドへと話を振る。ジェイドの微笑みは完璧だ。完璧すぎて、見ていると不安になってしまうくらいに。
「んー、金魚ちゃんとずっと一緒に居たかったから?」
「なるほど。僕たちの誰にも連絡をしなかったのは何故でしょう」
「別に理由は無いって」
「そうですか。特に理由がないから、僕に連絡のひとつも無しに居なくなってしまったのですか」
「そうだよー。ところでなんでジェイド怒ってんの?来た時からずっとじゃん」
「おやおや、僕が怒っているのは分かるくせに理由が分からないなんて、フロイドはいつから腑抜けてしまったんでしょうかねえ」
もしかして、これは兄弟喧嘩なのではないだろうか。
いつになくフロイドに突っかかるジェイドの様子にリドルは驚きつつ、そっとトレイの顔を盗み見ればトレイは口元だけで笑ってこくんと頷いた。頷いている場合か。
「オレは生きてるよ。死んでない」
「そんな事は分かってます。……分かっていましたよ、何処かで生きている事なんて。けれど、確証なんてないでしょう。勘だけで貴方が生きていると言い切れるなら、こんな思いはしていません」
「うん、ごめんねジェイド」
ジェイドはフロイドの腕を掴む。しょうがない、と言うようにフロイドはジェイドを抱き寄せた。
リドルが思っていたよりもジェイドは怒っていたらしく、何よりもフロイドの事を案じていたらしい。
双子の片割れがいなくなったとなれば、半身が捥がれたような気持ちになるのだろうか。一人っ子のリドルには、理解できない領域だと漠然と感じた。
「リドルさん」
「なんだい」
「このままフロイドと暮らすおつもりですか?」
「そのつもりだよ」
即答すれば、ジェイドはフロイドの腕から抜け出してリドルの頬を抓った。これは相当ご機嫌斜めらしい。
あんまりオレの金魚ちゃんいじめないであげてね、とフロイドが笑いながら、ジェイドが抓っている頬の反対側をぎゅ、と抓る。
フロイドの指はジェイドよりも抓る力が強くて、リドルは唸り声を上げながら顔を振って二人の手を引き剥がす。
「あはは、金魚ちゃん真っ赤になっちゃった〜」
「……まあ、この様子ならフロイドも悪い思いはしていないのでしょうね。分かりました。トレイさん、帰りましょう」
「えっ、もういいのか?」
「僕の気は済みました。さあアズール、エースさんも。行きますよ」
そう言って立ち上がったジェイドはまっすぐ玄関へと向かっていく。
「では、僕もこれで。フロイド、リドルさんに愛想が尽きましたらご連絡を。仕事の斡旋くらいはしてあげますよ」
アズール冗談きつい、と笑いながらフロイドは玄関へと向かう。
リドルがそれをぼう、と眺めていればトレイから声をかけられた。
「リドル、さっきジェイドはお前とフロイドは恋人じゃないって言ってたけど。……付き合ってるとかでは、無いのか?」
訊ねられたリドルはひとつ瞬きをして、ふいと視線を逸らして顎に手を当てる。この姿のリドルを、トレイは何度も見てきた。リドルが悩んでいる時によくする癖だった。
「付き合っているつもりは無いよ、少なくともボクはね」
「向こうはどう思ってるかは分からないと」
「そうなんだ。……ボクらしくないとは分かっているよ。前よりは減ったけど喧嘩だってするし、気まぐれに付き合いきれないと思うことだって多い。なんで一緒に住んでるんだろうって思うことだって、一度や二度じゃなかったさ」
「リドル」
リドルは眉を顰めながら、思いつめたように心境を吐露する。それがまるで懺悔する罪人の様にようで、トレイは咄嗟にリドルの肩を掴んだ。
顔を上げてトレイの目を見つけるリドルは、くしゃりと表情を崩してトレイの腕に縋る。
「だけど……、ずっと一緒に居たいってフロイドに言われて、叶えてやりたくなった。それだけなんだ」
「俺はお前のやりたい事を止めるつもりは無いよ。……でも、連絡先くらいは教えてくれ。もしもまたダメなことしたら叱ってやるから」
「……うん。ありがとう、トレイ」
リドルの声があまりに悲痛だったからか、目元を拭おうとして気付く。リドルは涙など流していない。不思議そうに見つめてくるリドルに、まつげが付いていたと誤魔化して軽く頬を払った。
「そういえば、親には連絡してないのか」
「ああ、知らないのかいトレイ。二人は離婚してしまってもう連絡先が分からないんだ」
「え」
さらりと何でもない事のように、リドルは両親の事を話した。その事実にトレイは驚愕したが、何となくああ、そうなのかと納得し、リドルの頭を撫でる。
「トレイ……、ボクはキミの弟では無いんだけど」
「まあそう言うなって。フロイドにはもう話したのか?」
「いいや。言う必要も無いだろう」
両親の期待に応えようと、小さな頃から努力を惜しまなかったリドル。厳しい教育を強いられ、それでも両親のことを愛していたことを知っていたトレイは、そっとため息を吐いた。
今のトレイに、リドルの両親が何故離婚したのか知る術は無いし、慰める言葉をかけるのも今更だろう。無責任な言葉ほど相手を傷付ける。親しい友人であれば尚更だ。
リドルがその事実を知った時に、一人で打ちひしがれないように、傍にフロイドがいてくれたら良かったと願うばかりだった。
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