植物園で横になって体を伸ばし、欠伸をするフロイドを見てリドルはため息を吐く。
なんて怠惰な姿なのだろう。時折目元を手で擦る仕草に、これではウツボの人魚ではなく猫のようだと思った。
同じ猫だとしてもルチウスの方がまだ可愛げがあるなと考えながら、フロイドの目元を撫でる。ターコイズブルーの髪の毛が風に吹かれて揺れた。
「こら、擦ってはいけないよ。赤くなってしまう」
「金魚ちゃんみたいに?」
「……キミはウツボの人魚だろう」
「そうだよぉ~?」
けらけらと笑うフロイドを見て、自分たちにこんなに穏やかな時間は似合わないなと思った。途中まで読んでいたはずの小説はしおりも挟まれずに裏返しに置かれている。本を傷めてしまうと分かっていたけれど、フロイドの目元が痛むかもと考えたらしおりを挟む暇すら惜しかった。何故なのかは分からなかった。
目元を撫でるリドルの手の平に頬を寄せるフロイドを見て、やはり人魚ではなく猫なのではないか、とリドルは思った。
三年生へと進級したリドルとフロイドは、今年も別のクラスになった。
フロイドの双子の片割れであるジェイドとも、リドルは同じクラスにならなかった。本来ならばその時点でリドルとフロイドに接点なんて無くなったはずなのに、未だにフロイドとの縁が続いていることがリドルは不思議でならなかった。
廊下ですれ違い様に絡まれて、学園内で行事が催されれば騒ぎに乗じて身長のことを揶揄われたり。リドルにとってフロイドの存在は毒にこそなれど良いものとして作用することは無かったはずなのに。
フロイドと共にいる時間が、一番気を張らなくて良いという事に気付いたのはいつだっただろう。
フロイドの前ではハーツラビュル寮の寮長でも、街一番優秀な両親に育てられた息子でも、学年主席として名を馳せる優等生でもなく、ただのリドル・ローズハートでいられる。
金魚鉢の中を気ままに泳ぐ金魚のように居られる場所が、実に得難い場所なのだと気付いたのはいつだったのだろう。
「……金魚ちゃんとずっと一緒にいられたらいいのに」
目元を、頬を撫でていたリドルの指を自分の指で掴み、フロイドは呟く。小さく呟かれたその声は、リドルに聞こえなくても良いと思っているかのように聞き取りづらく発せられた声だった。
しかし、その声はリドルの耳に届いている。リドルが手のひらを動かしてフロイドの指を握り返せば、弾かれたようにフロイドはリドルの目を見つめる。日差しに照らされて橙色がかった灰色の大きな瞳は、じっとフロイドの目を見つめ返す。リドルは愉快そうに口元を歪めた。
「じゃあ可能にすればいいだろう」
言い放つリドルを見て、フロイドは暫し呆然とする。途端、ぶはっと吐き出したの皮切りにして跳ねるようにけらけらと声を上げて笑った。
「金魚ちゃんったら何言ってんの」
「ボクは本気だよ。それじゃあ、手始めに住む場所の相談からしようか?」
卒業まで残り二年。天才のフロイドと、優秀なリドル。自分達二人が一緒に居れば、二人だけの逃避行だって出来そうな気がした。
それからというもの、二人はナイトレイブンカレッジに在学していた頃から何度も喧嘩をしながらお互いが共に住む場所を、就職先を決めた。
リドルは自分の両親やトレイ、フロイドは片割れであるジェイドや旧友であるアズールに詳しい事を伝えないまま、卒業式の日に人知れず姿を消した。
目深に被っていた式典服のフードを外して、少しだけ雲が広がった空を見上げる。名門校であるナイトレイブンカレッジの式典服は着ているだけでよく目立つけれど、箒に乗って移動したからかリドルとフロイドを見て声を上げる人はいない。
「……本当に出来ちゃった!やっぱ金魚ちゃんすげえ!」
「まあ、当然だね。この辺り、昼時は人通りが少ないんだ」
二人きりのこれから。正直なところ不安しかなかった。喧嘩は絶えないし、人間と人魚が同じ場所に住むなんて無茶かもしれない。今更そんな事を考えても、あの植物園でリドルはフロイドに手を伸ばしたし、フロイドはリドルの手を取った。
あんなに嫌いな相手だったのに、隣に居て不快感を感じなくなった。何故だろうか、とリドルが思案を始めようとすれば、フロイドはリドルの腕を掴んだ。
「ほら金魚ちゃん!電車来ちゃう!」
満面の笑みで駅に向かって駆け出すフロイドに引っ張られ、つんのめりながらリドルも駆け出した。
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