「……買ってしまった」
パステルカラーの緑と黒のチェック柄が可愛らしいぬいぐるみ。ベッドの上に鎮座されたそこそこ大きなぬいぐるみは、いわゆる抱き枕と呼ばれる類のものだった。気の抜けた表情がなんとも可愛らしくて仕方がない。
抱き枕はうさぎの形をして、ふかふかの手触りがする。おもむろに抱き寄せてみれば肌触りが良くて、はぁ~、と気の抜けた声が出る。
雑貨屋さんで見つけたとき、一目惚れして購入してしまったのだ。ちなみに雑貨屋さんに入った理由は、禰豆子ちゃんに似合う可愛らしいものは無いかな、と物色するためだった。結果として購入したのはこの抱き枕と、禰豆子ちゃんに似合いそうなハーブティーとクッキーの詰め合わせを買った。今度竈門家に遊びに行った時にでも渡そうと思う。
しかし、この抱き枕をどうしよう。買ったはいいものの、俺はきっと抱き枕を持て余してしまう気しかしなかった。
「まぁ、別に普通に抱き枕として使えばいいんだろうけど……」
問題は、俺専用の抱き枕がもう既に居ることである。いや、多分俺も抱き枕にされてるんだけど。
竈門炭治郎、俺の恋人。高校生の頃に出会って交際を始めて、年月を経て社会人になっても一緒にいる。それどころか、お互いの会社に通いやすい場所にある賃貸を借りて一年前から同棲を始めた。お互いの保護者への紹介も済ませており、特に大きな問題が起こらなければ俺と炭治郎はきっとこのままずっと一緒にいるのだろう。そう思えるくらい俺は炭治郎のことが好きで、そして炭治郎も俺のことを好きでいてくれた。
付き合い始めてから五年は経っているにも関わらず俺達の愛は止まることを知らず、むしろ毎日お互いに惚れ直す勢いだった。今日も俺の彼氏がかっこいいし可愛い。多分明日もかっこいいし可愛いと思う。
昨日は洗濯物の靴下を絶対ひっくり返さずに洗濯機に入れるところが最高だなって、洗濯物を干している時に思ったんだった。実家にいる時にお母さんから言いつけられていたからだと言っていたが、絶対炭治郎本人の真面目な気質も関係しているとは思う。
そんなわけで何年経っても仲の良い俺達の寝室にあるベッドは当然のように一つのみ。分けても良かったのだけど、耳が良すぎる俺は炭治郎の隣で、炭治郎の音を聞きながら寝る方が落ち着いて寝られるから、むしろ俺の方からベッドは一つでもいいよと希望するくらいだった。つまり、俺のベッドは炭治郎のベッドでもある。
そして男二人が並ぶと、いくらセミダブルのベッドでもとても余裕があるわけじゃない。二人並んで少し余裕があるくらいで、ここに新たに抱き枕を置くスペースは正直無かった。そもそも俺専用の抱き枕には、もうこれじゃなきゃ満足できないって思えるような恋人がなってくれる。
そんな中俺が抱き枕を買った理由は、一目惚れと手触りの良さに感動して衝動買いをしてしまったのは大分あるが、一番の決め手はうさぎの何とも言えない表情だった。
店内に陳列されている抱き枕を初めて見たとき、「なんかこのうさぎ、炭治郎に似てる」なんて思った。ちょっと抜けてるようで、愛らしくて、炭治郎がきょとんとした時に見せる表情にそっくりだった。そう思った時には俺はこの抱き枕を買うと決めたし、禰豆子ちゃんに渡す可愛らしい雑貨を見るのもそこそこにレジへと抱き枕を連れて行ってしまった。
もちろん、ここまで詳しく買った理由を炭治郎には言わないけど。そんな理由で買ったなんて知られたら、絶対にいつか揶揄われる気がするし、なによりそんな理由でそこそこ大きなものを買ってしまったのが結構恥ずかしいから。
俺がこんな、いわゆる「癒し系グッズ」を手に取ってしまった理由は分かっている。足りないのだ、癒しが。主に炭治郎成分が。
先月は俺の会社がちょうど繫忙期で残業が続き、あまり炭治郎とゆっくりする余裕はなかった。やっと俺の仕事が落ち着いたかと思えば、今度は炭治郎が新人への教育係になってしまい、これまた忙しい日々が続いていた。
そんなわけで、かれこれ二ヶ月は炭治郎とイチャついてない。セックスどころかゆっくりキスをすることすら少なくなっている始末だ。もちろんお互いにべったりだった俺達がこんな調子じゃ、ストレスが溜まる。ついでに欲も溜まる。
「……炭治郎、早く帰ってこないかな」
今日は土曜日。俺の会社のカレンダーでは休日だけど、炭治郎の会社では休みじゃない。つまり、件の新人への対応と通常業務に明け暮れている事だろう。炭治郎の話によれば新人さんは呑み込みが悪い方ではないらしく、むしろ要領良く仕事についての知識を吸収しているらしかった。
抱き枕を抱えたままごろりとベッドに横になる。お昼ごはんは食べたし、洗濯物だってベランダに干した。部屋の掃除は昨日帰ってきてから軽く済ませてしまったし、買い物から帰ってきた俺は完全に手持ち無沙汰になってしまった。充電器ケーブルの刺さったスマホを手に取り、何度かスワイプしてトークアプリを開く。炭治郎とのトーク画面を開き、少し前に買った雀のスタンプを3回ほど連打して送り付けた。休憩の時でも、退勤してからでも何かしら反応が貰えたら嬉しいな、と思った。
多分、俺は炭治郎にかまってほしいのだと思う。もう成人してから数年経つ、いい大人が何をしているのだろう。ちょっと悲しくなってくる。それでも俺は恋人のことが好きだから、かまってほしいなあと考えるのも自然な事だと思う。それにしてもこの抱き枕本当に抱き心地いいなあ、なんて考えながら、意識が段々と沈んでいく。ああ、せめて炭治郎が帰ってくるまでに洗濯物を取り込める時間には起きなくちゃなあ。
△
おいしそうな匂いと、調理音がキッチンの方からする。今は何時かとスマホを起動させれば、ロック画面には十八時三十八分の文字。
「……六時過ぎてんじゃん!」
がばりと起き上がり、キッチンへと続くリビングへの扉を開ける。予想通り、炭治郎は緑色のエプロンを付けてキッチンに立っており、ご飯を作っているようだった。
「ああ、善逸起きたのか。おはよう」
「炭治郎こそ、おかえり。帰ってたなら起こしてくれてもよかったのに」
「気持ちよさそうに寝ていたからな、起こすのが憚られてしまって」
炭治郎が作っていたのは簡単な野菜炒めと味噌汁、常備菜として作り置きしてあるほうれん草とベーコンのバター炒めだった。ちょうど白米が炊けたらしく、炊飯器がピーッと音を立てる。食器棚からお茶碗を取り出して、ご飯をよそう。炊き立ての白米の匂いが、食欲をそそらせた。
「こっちももう出来るから、お茶の用意してくれ」
「わかった」
色違いでお揃いのマグカップに、作っておいた麦茶を注ぐ。テーブルへと持って行く間に、炭治郎は手際よく料理を食器に盛り付ける。
一緒に住むときに、家事は当番制にしようと決めていた。今日は炭治郎がご飯を作る当番の日なので作ってくれたが、休みだったのだし俺が作っても良かったかもしれない、と炭治郎の作ってくれた料理を運びながら思った。でも、炭治郎の作ってくれる味噌汁の味、好きなんだよなあ。毎日食べてもいいなって思うぐらい。味噌の量が絶妙で、飽きの来ない味付けが、俺は好きだった。
「いただきます」
「いただきます」
向かい合わせで並び、手を合わせて挨拶をする。俺は早速、炭治郎が作ってくれた味噌汁を飲む。おいしい。
「ところで善逸、あのぬいぐるみはどうしたんだ」
「ん?買ったの」
俺の様子を見に来た時に抱き枕を見たのだろう。そりゃあ、抱いたまま寝てたし目に入りますよね。そして気になったと。炭治郎が野菜炒めに手を付ける。自分で作ったくせに、ピーマンを食べる時絶対に眉をひそめるのが可愛らしかった。
「あれ、抱き枕だろう」
「え、何で分かったの」
「色違いが禰豆子の部屋にあった」
「嘘ォ!」
まさかの、禰豆子ちゃんとお揃いであった。流石にそれは知らなかった。
「どこかで見たことがあるなあとは思ったんだ。たぶん、禰豆子の部屋にあったものと同じだと思う」
「はえ~……、それは知らんかったわ。今日雑貨屋さん行ったんだけどね、可愛かったから衝動買いしちゃったの。そうだ、禰豆子ちゃんにお菓子と紅茶買ったから、今度炭治郎の家行く時持って行くね」
「ああ、それは構わないが……善逸は、その。……俺より抱き枕の方がいいのか?」
「は?」
炭治郎さんは何を仰っているのだろうか。自分より?抱き枕の方が、いいのかと?
「……炭治郎、お前、もしかして」
「……分かってる、分かってるからそれ以上言わないでくれ、自分でもこんな事を言うのはどうかとは思うんだ……!」
炭治郎が、ぬいぐるみに嫉妬している。どうしよう、めちゃくちゃ可愛い。ご飯食べてる時じゃなかったら全力で抱きしめてやるのに、爺ちゃんから行儀作法をしこたま叩き込まれた俺にはそんな事は出来ない。
「心配しなくてもお前が一番だよ」
「……じゃあどうするんだ、あれ」
「可愛いし飾っとこうよ」
そう言えば、炭治郎は何とも言えない表情をした。あ、ちょっとあのうさぎに似てる。そんなことを思いながらくすくすと笑えば、むすっとした表情へと変わってしまった。ああ、可愛らしいなあ。
予想通り、抱き枕は本来の用途に使われなさそうだけれど、嫉妬する炭治郎が見れたから良しとしよう。それにしても本当に可愛い。早くご飯を食べて、片づけが終わったら、お仕事で疲れた炭治郎のことをめいっぱいかまってやろう。久しぶりにお風呂に一緒に入ってやるくらいした方がいいのかもしれない。そのままえっちなことが出来れば御の字である。俺もかまってもらえるし、炭治郎のこともかまってやれる。一石二鳥だ。
「……善逸、やけに楽しそうな匂いがするんだが」
「さあ~?早くご飯食べろよ、冷めちゃうぞ」
そんなことを言いながら、少し熱の冷めた味噌汁を口に含んだ。おいしい。炭治郎からは、複雑そうな音がしていた。可愛いなあ。たくさん頑張った恋人を、たくさん甘やかしてやろう、そう思った。
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