※死ネタです
来年も、その先も。自分の半分と、ただ星が見たい。それだけだった。
弟の部屋にはベランダがある。普段はサッカーボールが放置されているけれど、時折ベランダに折りたたみの椅子を持ち込んで夜空を眺める時があった。いつからそうしていたのかも、その行動のきっかけも覚えてない。いつからか彼のベランダは僕達の秘密基地のようになっていて、時折両親の目を盗んでそこでくだらないお喋りに興じたものだ。でも、今日は母の許可を得た上での天体観測だ。
今日は七夕だから星を見ようと言い出したのは僕だったのか、熱斗だったのか。それとも同じタイミングで言ったのだったか。つい数時間前のことなのに、何故か忘れてしまっていた。
だって、こんなに夜空が綺麗なのだから。
七夕の夜にこんなに雲が無いのは久しぶりで、僕達は少しだけ騒ぎながら星を見るための準備を進めた。席を立った熱斗の座っていた椅子を一瞥してから、空を見上げる。
吸い込まれそうな夜空だなぁ。星が落ちてきそうだ。そんなことを考えていれば、熱斗がいつの間にか戻ってきていたようで声をかけられた。
「暑くない?」
麦茶の入ったグラスを乗せたお盆をベランダに置く。熱斗は、病弱で体の弱い僕のことをよく心配してくれる。それはとても嬉しいことだけれど、時々熱斗は過保護なまでに体調を気にかけてくれるのは、些かこそばゆい気持ちになってしまう。
「平気だよ。昼間は暑かったけど、夜はそうでもないね」
「嘘つけ、暑いくせに。……ほら、麦茶持ってきたから飲んで」
「本当に平気なんだけどなぁ」
兄さんの平気は大丈夫じゃないんだ、と熱斗はぶつぶつと呟きながら、僕にコップを持たせた後自分のコップを持って麦茶を煽る。熱斗から受け取ったガラスのコップには氷が入っていて、それがさっきまで冷凍庫でキンキンに冷えていたのが分かる。コップの冷たさに、体温を奪われていく。冷たくて心地よいと思ったから、自分でも気づいていないだけで暑いと思っていたのかもしれない。
両手でコップを持って、ゆっくりと麦茶を飲む。氷で少し薄まった麦茶は程よい冷たさで、コップを離す頃には半分くらいお茶が減っていた。
お盆にコップを置いて、夜空を見上げながら一息ついた。見事な天の川が広がっていて、ほぅ、と思わずため息をついた。
「……彩斗兄さんは、今日の短冊になんてお願いしたの」
「え?……あぁ、学校のあれ?」
今日は七夕だ。だから、学校には笹の葉が飾られて、配布された短冊にお願い事を書いて、それをそれぞれが笹の葉に飾り付けた。下級生の子達は飾り付ける時にきゃらきゃらと騒いでいたけど、流石に6年生になった僕達はあんな風に騒いだりしなかった。それぞれの願い事が何なのか、みんなが浮き足立っていたことは分かるけれど。
「俺は彩斗兄さんの病気が治りますようにって書いたんだ。……最近調子良いみたいだからさ!」
熱斗の願い事を聞いて、僕は少しだけ目を逸らした。
最近は体調が良い。一時期ひどかった発作の数は目に見えて少なくなっていて、熱斗はその事に喜んでくれている。何故なら、発作が起こらないということは僕が通院する頻度は多くないから家にいる時間が増えたのだ。学校にだって、半年ぶりくらいにゆっくりと通えている。
お医者さんには、発作が起こらないからと言って油断はできないと伝えられた。まだH.B.Dはよく分かっていない心臓病で、最近確立してきた治療法だって、まだ信頼性があるとは言えないのだと。もちろんこのまま何事も無く回復に向かえばいいのだけど、その事を手放しに心優しい弟へ伝えるのは、あまりにも責任の無いことだと思った。……だけど。
「……そっか。ありがとう、熱斗。」
実は、僕もね。熱斗の耳元に口と手を近づける。小さな声で、自分のお願い事を彼の耳元で囁いた。自分も、彼と一緒に過ごしたいのだと。
顔を離せば、熱斗はどこかやるせない顔をしていた。どうしたのかと問えば、くしゃりと顔を歪めながら熱斗は俯いた。
「……おれ、彩斗兄さんがいれば、なにもいらない」
そう言って、彼は僕の肩に顔を埋めた。もう表情は見えないけど、先ほどの辛そうな表情を思い返すと、胸が詰まったように苦しかった。
「僕も。僕もだよ、熱斗がいればなにもいらないよ」
熱斗の体を抱きしめる。腕を回されて、僕達は抱きしめあった。
カラン、とガラスのコップに入った氷が音を立てる。お盆の上に置かれたコップには水滴がついて、小さな水たまりが作られていることだろう。
手を繋いで、指を絡めて、少しだけ体を離してから僕達は空を見上げた。
「来年も一緒に星を見ようよ。そうだ、短冊を作って、お願い事を書こう。織姫と彦星が、叶えてくれるかもしれないよ?」
「……書くよ。でも、居るか分からない織姫とか彦星に頼ったりしない。俺がまた、来年も兄さんをここまで連れてくる。それで、一緒に星を見るんだ。来年も、再来年も、その先も。」
「……そうだね。一緒に、星を見よう?」
繋いだ手をそのままに、僕達は夜空を見上げた。来年も熱斗とこうしていられる保証なんてないけど、神頼みのような事をしようとするなんて、僕にしては珍しい思いつきだと思う。
「……兄さん、そろそろ部屋に入ろう。短冊、書くんだろ?」
熱斗の言葉にこくりと頷いて、椅子を畳む。1度だけ振り返ると、流れ星が流れていた。
来年も、熱斗と-。
はやく、と急かされて部屋に戻った。クーラーのついた部屋は涼しくて、少しぬるくなってしまった麦茶にはちょうど良かった。
部屋の引き出しから2枚の紙を取り出す。書いたはいいものの、飾るための笹が無いことに気づいて、俺と彩斗兄さんだけの秘密で引き出しの中へ入れておいた短冊。
「だからあんな約束したくなかったんだよ」
彩斗兄さんと七夕に天体観測をしてから1年が経った。簡潔に言うと、俺と彩斗兄さんは一緒に星を見ることができなかった。
彩斗兄さんのH.B.Dが悪化してそのまま帰らぬ人となってしまったからだ。彩斗兄さんはきっとどこかで自分が死んでしまうことを気づいていたのだと思う。一緒にいたいと何度も何度も、離れ難いと言うように。結局その願いは叶わないまま、彩斗兄さんと俺は離れ離れになってしまった。
彩斗兄さんの短冊を眺める。俺の字よりも幾分か綺麗で、けれどクセがよく似ている字。同じ文章を書いているのだから、文字の違いも、よく似たクセも見比べることでよく分かる。その短冊を伏せて、また引き出しの中へと仕舞う。大切な思い出だから、ここに入れておくのだ。
からん、と麦茶の中に入れた氷が音を立てた。あれから俺はベランダに出なくなった。あそこには彩斗兄さんと過ごした跡が残りすぎている。なら、俺が1人で踏み入れて変えてしまうよりも、そのままにしておくことに決めたからだ。
「彩斗兄さん、近いうちに俺もそっちに行くからね」
軽い力で引き出しを閉じる。彩斗兄さんの命日まで、あと数ヶ月。今年は一緒に星を見られなかったけど、来年からはずっと一緒だよ、彩斗兄さん。
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